1. ホーム
  2. ファミリアについて
  3. ファミリアの軌跡
  4. #04 創業のきっかけ

#04 創業のきっかけ

きっかけはハイヒールと手づくりの写真ケース。
モトヤ靴店の好意ある提案により、坂野惇子らはものづくりをはじめることになりました。

1948年、週一回のお稽古では収入を得ることはできず、坂野惇子は考えた結果、軽井沢から持ち帰ったハイヒールのケースを持ち、神戸三宮センター街の「モトヤ靴店」を訪れました。店主の元田蓮氏は戦前、坂野惇子の実家である佐々木家に出入りしていた腕のいい靴づくりの技術者で、懐かしい坂野惇子の来訪をうけ、相好をくずしました。
坂野惇子はためらいながら、「今日はお願いがあってきましたの。昔、作ってもらったハイヒール、一度も履いていないので、誰かに売ってくださらないかしら」元田氏は坂野惇子が持っているシューズケースに眼をとめると表情を厳しくしました。見覚えのあるシューズケースは、坂野惇子の嫁入り道具にと特別に用意した外国製のものでした。

元田氏がこのシューズケースを用意して丹精こめて作った婦人靴を納めたのですが、おりしも戦争が始まり、ハイヒールを履くこともないまま、まっさらの状態で半ダースが残っていたのです。
「いけません。これはお嬢さんのために作った靴です。」
「それは、私だって手放すのは惜しいわ。でも空襲で焼かれ、売り食いする品物があまりないのよ」
「お気持ちはわかりますが、これを売るのだけはやめていただけませんか」哀願するような元田氏に坂野惇子は困りました。

神戸は外国人が多いこともあって、神戸で作られるハンドメイドの靴は“神戸靴”と呼ばれ、全国的に有名で、わけても「モトヤ靴店」といえば、履き心地のいい洒落た手縫いの靴を作る店として知られていました。

左から元田蓮氏と田村光子、坂野惇子、田村江つ子

靴を売りにきたものの、話が途切れてしまった坂野惇子は、「娘がこんなに大きくなったのよ」と、ハンドバッグから子どもの写真を取り出して見せました。写真を入れたお手製の写真ケースは、綿スエードの布地で作った定期入れ風のもので、表と写真の回りには小花の刺しゅうが美しく施されていました。元田氏はその写真ケースに目をとめたのです。
「この写真ケースはきれいですね。どこで買われたのですか」
「私のお手製よ。ほら、これも!」と、持っていた手提げ袋も見せました。そこにはカトレアの花が大きく立体的にアップリケされていました。
「ほう・・・たいしたものですね。そうだ、こんな手仕事の物を作ってお売りになったらいかがですか。うちの陳列ケースを提供しますよ」と、提案されたのでした。
元田氏の思わぬ、好意的な申し出を受けた坂野惇子は、感激しながらも決断がつかぬまま、その日は帰りました。

前列左から田村光子・田村江つ子・坂野惇子 後列左から坂野通夫・清水雅氏・田村陽

坂野惇子は早速、夫 坂野通夫やクラスメイトの田村江つ子に相談しました。田村江つ子は義姉の田村光子にも話してみようと言いました。3人とも田中千代女史をはじめとする著名な洋裁の先生の門下生であり、手芸や洋裁の技術をお稽古ごととして身につけていたし、自分の手で作る喜びを知っていたからです。
しかし、店をもち商品として販売することには不安があり、夫に相談しました。坂野惇子の夫 坂野通夫は文句なく賛成しました。
田村江つ子の夫 田村寛次郎も「これからは、女性も家庭にじっとしている時代ではない」と、かつての父や尾上氏が諭した以上に積極的に働くことをすすめました。田村光子の夫 田村陽も賛成しました。その後まもなく、3人の夫 坂野通夫、田村寛次郎、田村陽が集まり、女性たちに手芸店を始めることについて、積極的に応援しようと、具体的な方法を話しあい、協力を得られました。

そして、坂野夫妻と交流があった村井ミヨ子にも声をかけ、こうして4人の女性が揃い、お互いの役割を分担し、モトヤ靴店での開店を目指し、ものづくりに奮闘する日々がはじまるのでした。

NEWS LETTER

ファミリアの最新情報をいち早くお届けいたします。

登録する